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2018-10-12

なめくじは何を考えているのか

私が住んでいる街には、都心へつながる大きな道路が走っているのだが、あきらかに山のど真ん中を切り開いて道路を通してやりましたぜ!という地形をしている。

すなわち歩道の真横に切り立ったコンクリの斜面があり、その上に生き残った山の木々が生い茂っているといった具合。

このコンクリの斜面には昔防空壕だったと言う大穴があってトタンで塞がれていたり、そのトタンに地元のヤンキーがしたであろう落書きがずっと残っていたり、トタンの前に死んだ狸が横たわっていたことがあったり、実は斜面の細い階段を上がっていくと昔の神社跡が鬱蒼とした木々の中(昔の山頂部分)にあるけれど、あまりな雰囲気にお墓だと思い込んでいる地元民がいたりと、わが街いちばんの不思議《オカルト》スポットだと私の中で話題だ。

そのコンクリの壁だが、雨が降っている夜、上の方を大体なめくじが這っている。何のためかはわからないけれど、たぶん上の山部分の土のところにふだんいるのが、雨でテンション上がって下界に降りてきてるんじゃなかろうか。

コンクリ壁前の歩道は狭く、雨の日に傘をさした人同士が行き違おうものなら余裕でぶつかってしまうので、壁側の人間は必然的に壁すれすれのところを歩くことになる。それで、壁に張り付いたなめくじとニアミスしそうになり、「わあ!」となることが幾度かあった。

「雨が降るとなめくじが出る」。それは、自然豊かなところに住む人には常識かもしれないけれど、都市近郊のベッドタウンに住む人間にはちょっとした衝撃であった。コンクリの壁を、なめくじが這ったぐねぐねの軌跡が、ぬらぬらと光っているのが生々しい。ふだん陰日向でひっそりと生きているなめくじたちが、その生き様を人間どもにとくと見せつけているかのようだ……。

そんな、雨の日にあらわれる、壁のなめくじ。慣れてくると慣れてくるものだが、まあやっぱり触りたくはないので、雨の日は十分に注意して歩くようになった。ところがである。

晴れの夜もいる。

最近のなめくじさんであるが、雨も降らないのに、壁にいるのである。それも、以前は降雨時ですら三匹が限界といった感じだったのに、五、六…七はいる。地味に繁殖に成功している。

「ははあん、なめくじは湿気が必要なやつらで、ふだんは湿気を含んだ土中にいるけれど、雨が降ればコンクリの上にも行ける。それできっと雨の日は、行けるとこまで羽を伸ばしてるんだろうな」と、知らないなりに推測して納得していたのだが、どうやらそういうことではなかったらしい。このそれらしい説を、誰かにしたり顔で話したりしなくてよかった。

私はここ数年の観察により、なめくじの生態をそれなりに掴んだかと思ったが、掴めてなかった。見た目通り、掴みどころのないやつだ。今わかっているのは、なめくじが這った跡はてらてらしているということだけだ。あと噂で聞いた、塩をかけると溶けるっていうこと(本当だろうか?)。

知らなくて良いこと。

なめくじに関しての私の知識は、極めて浅いと言える。まあなめくじの軌跡を生々しくイメージできる分だけ、なめくじを見たことがない人よりは知っていることになるが……。

こんな私でもきっと、今目の前にある便利な機械で検索をかければ、たくさんなめくじの情報をゲットできるだろう。おそらく「怪奇・山より降り出づる蛞蝓現象」に関しても、それなりな解答をさくっと知ることができるに違いない。

しかし、果たしてなめくじというのは、その生態がすべてはっきりつまびらかに、さっぱり明瞭で大団円……そんな事態が似合う生き物なのだろうか?果たしてやつが、もっとみなさんに私たちのことを知ってほしい!などと思っているだろうか。塩だけはやめてください!とは思っているかもしれないが。

夜の山からぞろぞろと降りてきて、壁に張り付いて歩くでも止まるでもなく、ねばねばしたボディーは街灯を不気味に照り返す。翌朝には土のところに戻ったのか、あのてかてかの這い跡だけ残して消えている。あんな場所で何か捕食しているとも思えないし……。

そんななめくじたちの姿を見ていると、彼らは「神秘的」だったり、「何考えてるかわからない」「不気味」などと言われることを、喜んでいるようにすら思える。すべてのなめくじがそうだとは言えないが……。

思えば、こんなに「何考えてるんだろう」という言葉が似合う生き物もいないだろう。

きっとそれが詩情(?)

あれでいてなめくじは、何か深いことを考えているのかもしれないし、何も考えていないかもしれない。しかしその余白こそが、趣きを生む。すなわち、「詩情」というやつである、たぶん。

思いの外じっくり(小一時間)なめくじのことを考えてしまい、元気がなくなってきたので、萩原朔太郎の詩を引用させていただきます。(パソコン版だと改行が反映されているのですが、スマホ版だとすごく読みづらいことになっております)

「夢に見る空き家の庭の秘密」

その空き家の庭に生えこむものは松の木の類  /
びわの木 桃の木 まきの木 さざんか さくらの類  /
さかんな樹木 あたりにひろがる樹木の枝  /
またそのむらがる枝の葉かげに ぞくぞくと繁茂するところの植物  /
およそ しだ わらび ぜんまい もうせんごけの類  /
地べたいちめんに重なりあつて這ひまはる  /
それら青いものの生命  /
それら青いもののさかんな生命  /
その空き家の庭はいつも植物の日影になつて薄暗い  /
ただかすかにながれるものは一筋の小川のみづ 夜も昼もさよさよと悲しくひくくながれる水の音  /
またじめじめとした垣根のあたり  /
なめくぢ へび かへる とかげ類のぬたぬたとした気味わるいすがたをみる。  /
さうしてこの幽邃な世界のうへに  /
夜は青じろい月の光がてらしてゐる  /
月の光は前栽の植込からしつとりとながれこむ。  /
あはれにしめやかな この深夜のふけてゆく思ひに心をかたむけ  /
わたしの心は垣根にもたれて横笛を吹きすさぶ  /
ああ このいろいろのもののかくされた秘密の生活  /
かぎりなく美しい影と 不思議なすがたの重なりあふところの世界  /
月光の中にうかびいづる羊歯 わらび 松の木の枝  /
なめくぢ へび とかげ類の無気味な生活  /
ああ わたしの夢によくみる このひと住まぬ空き家の庭の秘密と  /
いつもその謎のとけやらぬおもむき深き幽邃のなつかしさよ。


「青猫」抄 萩原朔太郎(岩波書店『萩原朔太郎詩集』より)

よく、草木が生い茂って家本体がどこだか分からなくなっちゃってるような家、ありますね。人が住んでいるのかいないのかわからないけれど、完全に植物の生命力がまさっているような。虫が苦手なので自分はとても住めそうにはないけれど、こういうありとあらゆる生き物が暮らしているジャングルハウス、いいなぁと思う。梨木香歩さんの『家守綺譚』の主人公のお家もこんな感じでしたね。ああ、そんなところで吹くっていう、朔太郎の笛が聴きたい。

そんな夢の中の、しっとりと薄暗くも、美しい庭の詩。この短い文中になめくじはなんと二回も登場、さらに一回目は「気味わるい」二回目は「無気味」という、散々な言われようである。よほど萩原朔太郎はなめくじを気持ち悪いと思っていて、そしてその気持ち悪いところがそれなりに好きだったのだろう。(へび かえる とかげ類もまた然り)

同じく気持ち悪い生き物だからと言って、このなめくじのところにGから始まるあの虫や、カメのようなあの虫を入れてはいけないのだ。気持ち悪くも、なんだか趣きがあり、ちょうどよい無気味さを持った生き物。そう考えると、なめくじというのは、なんとこの詩にぴったりな生き物なのだろう。ひょっとして、萩原朔太郎に詩にされるために生まれてきた生き物なのでは……。

謎はとけぬほうが趣深いと、萩原氏もおっしゃっているので、私となめくじの関係はこのまま平行線上だ。私もなめくじのことを調べたりしないし、なめくじもどうせ私に興味なんかないだろう。それでも、何考えてるのかよくわからない行動をくりかえすなめくじを見るたびに、萩原朔太郎が「なめくじめっちゃ無気味」と言っていたこの詩を、そしてこの詩に出てくる美しい空き家の庭を心に思い描くならば、そういう関係もちょっと素敵かな、と思っている。

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