夕焼けの海に浮かぶ、木の葉の舟

夕暮れの入り江に浮かぶ木の葉。
赤や黄に染まったその姿は、沈む光をすくいながら、静かに漂っています。

ふと、日常の景色に“もうひとつの世界”を見つけるまなざし。
実朝公は、木の葉を舟に見立てて、そっと想像の海へ漕ぎ出していきます……。
(↓右上から読んでくださいませ。わかりづらくてすみません!)

実朝様

木枯らしよりも肝が冷える義時の登場……

暮れてゆく 秋の湊に 浮かぶ木の葉
海人の釣りする 舟かともみゆ

源実朝『金槐和歌集』秋

好きな歌人、鎌倉幕府の三代将軍・源実朝公の和歌です。
近年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で描かれた彼のお姿や、幕府の面々はみな魅力的で、生き生きしていました。
それ以来、実朝公の和歌の絵はその世界観で描いております。

「湊(みなと)」という言葉は、古語では“水の出入り口”のこと。
『新潮日本古典集成 金槐和歌集』では「入り江」と訳されています。

そして “海人(あま)の舟” といえば、「百人一首」でも有名なあの歌を思い出します。

世の中は 常にもがもな 渚こぐ
海人の小舟の 綱手かなしも

源実朝『金槐和歌集』雑 「百人一首」では93番目、鎌倉右大臣

漁夫の小舟は、実朝公にとって、きっと穏やかな日常の風景そのものだったのでしょう。

実朝公の歌は、

大海の 磯もとどろに 寄する波
破れて砕けて 裂けて散るかも

源実朝『金槐和歌集』雑

箱根路を われ越えくれば 伊豆の海や
沖の小島に 波の寄る見ゆ

源実朝『金槐和歌集』雑

など、大らかでまっすぐで透明。古代の「万葉集」のような響きがある……そんな魅力が人気です。

一方で、実朝公は非常に勉強熱心で、万葉集だけでなく、古典の教科書である「古今和歌集」や、優美で繊細な「新古今和歌集」の歌も学び、それぞれ影響を受けています。

当時の和歌は、“心のままに景色を詠む”というより、
古典の世界観を踏まえつつ詠むのが基本。
実際、その場所に行かなくても、歌枕のイメージだけで詠むこともよくありました。

今回の歌も、一見すると素朴で目立たない歌なのですが、
古典の学びが静かに息づいていながら、
どこか「可愛らしい視点」を感じます。

この木の葉の舟も、
実朝公の中に積み重なった鎌倉の景色や、
日々の記憶が重なり合って生まれたのではないかと。

和歌という小さな“言葉の箱”に詰め込まれた、
当時の空気や光や匂い。
それがふと伝わってくる瞬間──
まるで時空を超えてその人に触れたようで、なんだか嬉しくなるのです。

鎌倉時代はたぶん、戦国や幕末ほど派手ではなく、
「好きな人だけが好き」な時代です。
実朝公も、砂浜にねむる小さな貝殻のように、
見つけた人だけがそっと愛でる存在。

でも、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」によって、
鎌倉時代の彼らの魅力が多くの人へひらけました。
実朝公たちを“友達”のように感じる人が増えたことが、とても嬉しいです。

だから、実朝公の見た季節、
日々の想い、彼が憧れた古典の世界、
そして現代の私自身が感じた気持ち──
そのすべてを重ねながら絵を描きたいと思いました。

さらに見てくださる方が、
自分の季節の思い出や、
「鎌倉殿の13人」の記憶をそっと重ねてくれたら。
そんな“時を越えた重なり”が生まれたら、とても素敵だと思うのです。

今回の絵では、
実朝公が見つめた秋の入り江の光、
漂う木の葉、
海の匂い、
ふと胸に宿る切なさを
画面の中にひらひらと散らすことができたら嬉しいです。

実朝様

鎌倉殿は永遠に…!

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