ゆるーくシンプルに……「まろになりたい」!

小さなことなのですが、ブログタイトルが「まろあそび」から「まろになりたい」になりました。

というのも……

ということに気づいたからです。

まろ君
いや、ぜんぜんわからん。

気づけば、私は「武士」だった

なんだか、「生きづらいなぁ」と思うことが多かったのです。

家族も友達もいて、たまに体調はくずすけど毎日仕事をできる程度の健康があって、好きなことをできる時間もとろうと思えばそれなりにとれる、充分にしあわせな環境でした。

それでも、なぜか悩みは尽きなかった。人生に悩みはつきものだけど、中には悩む必要のない悩みもけっこうある気がしていた。

ついでに肩まわりも、いつも美容師さんにひかれる程度にコリまくっていた。

なぜなら、私はいつのころからか、心に「よろい」をガチャガチャと着込むくせがついていたからです。

「人に嫌われたらどうしよう」「みんなにどう思われてるんだろう」「かっこわるいところを見られたくない」っていう「よろい」です。

それを着込みすぎた結果、こんな感じに。

  • 自分の本心がわからなくなった
  • よく変なところで緊張して疲れる
  • だれかに悩みを打ちあけるのが苦手
  • がんばる方向性をまちがえる
  • ブログの文章を書くとき、絵を描くとき、なかなか自然体になれない

などなど……

鎌倉が舞台の大好きなドラマ「続・最後から二番目の恋」で、こんなシーンがありました。

これ、ドラマではハセキョー演じる薫子さんは結構「めんどくさい女」でしたが(笑)

でも、言ってることは一理あるなぁと思ったんです。

千明さんは「強い女」の「よろい」を着ていた。

着なくていい「よろい」……あるいは、「よろい」を脱いでもいいときってきっとある。

姉御肌のたよれる上司として、テレビ業界でバリバリ仕事をしてきた千明さんの生きるための「よろい」と、たぶん必要なさそうな私の「よろい」はまたちょっと違うけれど。

きっとたくさんの人が、いろんな「よろい」をいろんな理由で着て、この世の中を生きていることでしょう。

こちらは夏将軍

着なきゃいけなかった「よろい」を着てる人、着なくていい「よろい」を着てる人。

そうやって日々なにかと戦って生きてる人、みんな「武士」だと思ったのです。

「武士」もいいけど「麻呂」になりたい

ところで、かれこれ10年ほど、私はずっと「麻呂」の絵を描いてきました。

きっかけは源実朝さんという、いつも「麻呂」の格好をして暮らしている「武士」にハマったこと。

この人

というわけで最初はちゃんと理由があって「麻呂」を描いていたんですが、理由がなくなっても「麻呂」を描きつづけていました。

それはもしかしたら……「麻呂」になりたかったからかもしれない!

一般的に「麻呂」というと……

そして実際はイメージ通りの「麻呂」はごく一部の上の方の人たちだけで、

きずきあげた権力を武士にうばわれる
歌比べで負けたらショック死するくらい和歌に対してガチ
麻呂は麻呂でも下の方の人は社畜

けして楽ではない人生を彼らも送っていた。

いつの時代も人生はいろいろあるものだし、「麻呂」だって「よろい」を着ていたかもしれない。

でも、そんな「麻呂」たちが作って育てて守ってきた文化は、ものすごい力を持っていたのです。

その力とは……

まろ君
え、別にならなくていい?そんなことは言わずに……

着込んだ「よろい」を外すヒント

世の中にはいろんな「よろい」があるだろうけど、自分軸じゃなくて、他人軸で着た「よろい」は外した方が素敵な人生になるんだろうなと思います。

私の、「人に嫌われたくないよろい」なんかは、きっとそれですね。

だからそのヒントを、「麻呂」たちが作った文化にさがしてみました。

身の回りの自然に心を寄り添わせてみる

和歌に十二単の「かさね」の色、文様……「麻呂」たちが作った文化は、全部自然がモチーフ。

特に和歌は、自然に心を寄り添わせてつくります。

ぼのぼのちゃんの可愛さを再現できなかった……(すみません)

と、ぼのぼの先生がおっしゃっていましたが(『癒されたい日のぼのぼの』いがらしみきお・著←すごい良い本)

心を人間関係や社会から切り離して自然の中に投げ入れてみる。

それから、和歌や十二単の「かさね」は、とても繊細に季節の移ろいをあらわしています。

『素晴らしい装束の世界』(八條忠基・著/誠文堂新光社)より

季節のうつろいに敏感になってみると……数日前まで鳴いていたツクツクボウシがもう鳴いていなかったり、日に日に秋の虫の声が大きくなっていたり。

一日として、まったく同じ状態の日などないんだということに気づかされます。

毎日毎日、世界はちょっとずつ変わっている。

そのことに気づいたとき、未来への不安や過去の後悔に使っていた意識が、「今」にもどってくる。

まろ君
……といいなぁ(希望)

なんでもゆるくシンプルに考えてみる

日本のまんがやアニメは今やグローバルで評価されていますが、その理由の一つが「デフォルメがめっちゃとくい」ってことだと思います。

がんばりすぎちゃう人必見!ゆるかわ「日本の素朴絵」展

2019年8月15日

ゆるキャラもとい……上記記事の展覧会では日本のゆる絵をたくさん見て、その才能を確信しました。

「麻呂」の装束にあしらわれた文様にも、その心があらわれています。

自然界に存在するどんなものも、宇宙の理でさえも、まーるくシンプルな形にしてしまう。

まろ君
家紋なんかもそうだよね

和歌が三十一文字に制限されてるのも、シンプルにした結果かもしれません。

どんなものでも情報を少なくして、シンプルにして、デフォルメ=ゆるーくしてみる。

この考え方って、自分が変な「よろい」を着ているがゆえに悩んでしまっているいろんなことにも活かせるのかも、と思いました。

まとめ

いろいろとまとまってない感じですが、「麻呂」の文化にやわらかく生きるコツを学びながら、いらない「よろい」ははずしていきたい!という意味で「まろになりたい」です。

必要があって「よろい」を着ている人、自分の意思で「よろい」を着ている人にも、ここではかぶとの緒をすこしゆるめられるような、そんなブログにいつかできたら良いなぁ。

まろ君
夢はでっかく、ね〜

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